「特別」を君だけに
それは度々起こる光景で、その度に維特は目をきつく閉じて、耳の鼓膜に力をいれる。見ないように、
聞こえないようにと勤めた。
しかし、甲高く鳴る金属の音は否応無しに彼の鼓膜を貫いた。
「・・・・・・sorry・・・・・・」
そして恐る恐る口を開く。彼に問題があるわけでもなく、それでも詫びるのはもはや条件反射の域だ。
目を開けその視線の端で、主が無関心な眼差しを背けるのを見やると、その主の癇癪によって足元に
無様にぶちまけられた、先ほどの金属音を生み出した皿と、それが乗っていた肉のかたまり達を、奥歯を
噛みしめながら拾い集めた。
ねっとりとした肉の脂とそれにあった血、まだ固まるまでにはほど遠かった目玉焼きの黄身が床に塗りつ
けられていた。
食べたくないのなら元より作れと言わなければ良いのだ。食されるために殺されたこの元生き物の肉の
塊もさぞかし残念で無念でしょうがないだろう。食べられさえすれば、その身を血肉に変え生きて行く事も
できる。しかし、そうされずただ廃棄されていくだけなのだから。
食す側は殺される側の痛みなんて知らないのだ。だからこうも簡単に粗末に扱える。
そう言う自分も殺される側の痛みなど考えもしないのが正直なところで、飢えればあたりかまわず人間の
命を漁る。
ようは自分勝手――・・・、利己主義なのか。
主の傍若無人は今に始まったことではないが、こうも度重なればそろそろ己の胃にもストレスで穴が開き
そうだ。そんな胃に強烈な油の塊を入れる気もさらさら起きず、今日も無残に捨てられていく食材たちに詫び
ながら維特はかき集めた廃棄物を持って調理場へと戻って行った。
ため息なのかそれとも呆れた吐息なのか。どちらともつかない息を短くついて、維特は鉄製の皿を調理場の
テーブルの上に置いた。そして側の木椅子に腰をかけた。そのままテーブルに顔をうつ伏せて目を閉じる。
ちくちくと何かが胸の奥を刺激して、あまり良いとは思えない感情が湧きあがってくる。維特はそれに耐える
かのように顔の下にした拳を力強く握りしめた。腕に力をいれ体を起こすが、相変わらず頭はうなだれたまま
だった。
今までに得たことのない主への感情、それは「嫌悪」だった。そんなことがあってはならないと、かき消そうと
するのだが、一度起こってしまった感情を消すには難しかった。これは何かの錯覚なのだと懸命に自分に言い
聞かせ、頭を左右に振った。
何もしていないから余計なことを考えるのだ。と、気を紛らわせようと辺りを見回せば、先ほど使用した調理器
具がまだ流しに突っ込んだままになっている事に気づいた。
気を紛らわせるにはちょうど良いと、維特は流しの前に立った。蛇口をひねり水を出す。この流れの様に今の
気持ちも綺麗に流れてくれることを願った。
水の音に混じって、綺麗な高い音が聞こえる。その音をたどって振り向けば、先ほど維特が腰をかけていた椅
子に、希恩の姿があった。
希恩は何も言わず静かに血琴を奏でている。今まで幾度も耳にしたことがある曲。その音がやんわりと維特を
包んだ。白く細い指先が弦を爪弾く。
この曲が大好きだった。
彼とは正反対の静かで優しい曲。決して人前で奏でることはなかった。たいていが部屋で一人になる時で、人
の気配があるとすぐにその手を止めた。だから気づかれぬよう気配を消し、それを盗み聞くようにそっと聞いていた。
でも、今はそれが目の前で奏でられている。
維特は動かなかった。もっとこの音に溺れてみたかった。今という瞬間を軽弾んだ言動で壊したくはなかった。
「せっかくの物が・・・・・・。もったいない」
演奏を終えた希恩は、独り言のようにそう言った。その声に弾かれたように維特は瞬きをし、まどろみの中に落
ちかけていた意識を希恩に向けた。
希恩は人差し指の必要以上に伸ばされた爪先を舌を出し軽く一舐めした。そのまま、テーブルの上に放置された
鉄皿の上の肉の塊を爪先で何度かつつくと、その断面が綺麗に切断され、間から血がしたたり流れる。ひょいと一
切れその爪先に捕らえる。そして、そのまま希恩はそれを口に運んだ。
「それはさっき床に!」
しかし、希恩は横目で維特を見て少しだけ口の端を上げた。
「そんなこと見ればわかる。だからと言って、お前の作った物には変わりない」
そう言って、気位の高い希恩が落ちたものをかまわず口にした。維特の胸にまたチクリと刺激される。けれども、
その刺激はけして「嫌悪」ではなかった。どこか切なくなるような。それでも、ほのかに温かいと感じる痛み。もしか
したら痛みではないのかもしれない。今までに感じたことのない感覚にこれといった正しい表現が見つからない。
ただいえるのは―――
「たまには、私にも作ってくれ」
爪の先を舌で舐り希恩はまた口の端を上げた。今度は軟らかくそこに笑みを作った。
維特は半ば戸惑いながら、その笑みに自分も笑顔で返した。
「Certainly, with pleasure.」
―――少しでも自分を必要としてくれるのならば―――
終わり
同人誌の方に収録した話ですが、元ネタはこのお題でした。